広島大学 大学院先端物質科学研究科 半導体集積科学専攻

コラム   

第126回 「西南部から北方へ、そして日本へ」
 
宋 航
博士課程後期1年
ナノデバイス・バイオ融合科学研究所

 
 >> 研究所ホームページ

 こんにちは、ナノデバイスバイオ融合研究所のD1の宋航と申します。今年四月日本にやってまいりました。この場を借りて、今まで私の経験を紹介させていただきます。私は中国の重慶市で生まれました。たぶん、中国といえば、政治中心の北京と経済中心の上海しか知らないでしょうね。重慶市は中国の西南部にあり、北京や上海から結構離れたところで、直線距離は約1500㌔ぐらいです。飛行機で約2時間半かかります。

(重慶市の全貌)

 重慶は“山城”(Mountain City)と呼ばれています。衛星写真を見れば、いろんな山脈が見えます。四川盆地はこれらの山脈に囲まれています。山のせいで、けっこう昔から、四川(三国時代の蜀)に入るのは天に登るほど難しいと言われています。唐の詩人李白はこう書きました、“蜀道之難、難於上青天”(蜀道の難きこと青天に上るよりも難し<蜀道難>)。今までも、四川か重慶に進出の陸上交通も便利とはいえません。重慶発北京までの列車は一日七本しかないです(平原部分の北京と上海の間は一日40本以上)。しかも、最も早いのも12時間かかります。ふぅ、まぁ、遠いです。


 でも、その反面、山に囲まれるおかけで、歴代の戦乱にあんまり影響されていないとも言われています。噂によりますと、四川人は戦乱にあんまり心配する必要がないので、そして自然にも恵まれて、日々料理にめっちゃ取り組んでいます。ぶっちゃけ、四川料理は中国料理のなかで一番おいしいと私はずっと思っています。


(赤い四川料理たち)

 小さなごろから、週末によく山登りとか、遠足とかしています。毎日、おいしく辛い料理とか楽しく食べてきました。しかし、西南部はとても辺鄙な場所ですので、高等教育の資源は少なく、ほとんど全部北京や沿海部にあります。その上、18歳まで反抗期の私はいつも親から離れたく、北方を見に行きたいという気持ちで、大学は天津に行きました。天津は北京の近くで、まぁ、同じく遠いです。北の方に行ったら、最初の問題は、私の中国語でした。現在の標準中国語は北の方言を基にしています。そのなかに、私はマスターできなかった発音がいっぱいあります。当時、私の南方風の中国語は北の人たちにめっちゃ笑われました(いい意味で)。そして、全然北の食べ物に慣れませんでした。でも、しょうがないですので、だんだんと標準中国語もよくなっていって、食事も慣れてきました。北方に居た六年間半、私は中国の他のところも行ったりしました。最も感じたのは、中国の多様性でした。言葉も、食べ物も、習慣も違っています。たとえば、東南沿海部の言葉は完全理解不能。そして、格差も感じました。沿海部と内陸部、都会と農村。私の出身地も、都会は金持ちの人がいっぱいいますけど、まだ農村で貧困な生活をしている人も結構います。

(おじいちゃん、おばあちゃんが昔住んでいた村)

 どうすれば人々が同じく楽しい生活を送れるだろうかと私は思っています。世界の他のところはどういう風景だろうかと思っています。そんな疑問を抱えながら、私は日本に来ました。日本に来て、最初感じたのは環境の良さ。どこでも清潔で、ごみとかは全然見えません。それが一番日本に学ぶ必要のあることだと私は思います。花見やBBQをした後、ごみは全部自分で集めて分別して捨てるのも私を感動させました。中国で、観光地とか山とかビーチとかは、連休になると、ごみが任意に捨てられています。最近は、そういうやり方は批判を浴びていますけど、まだまだです。そして、印象に残るのは日本のサービス業のやさしい店員さんです。店員みんな笑顔で、優しい声で仕事をしています。他に良いところもいっぱいありますが、まだ体験している中です。
 以上、とある20代の中国内陸部出身学生の簡単な地元紹介と北方体験談と日本初印象でした。

(2015/11/11)


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