広島大学 大学院先端物質科学研究科 半導体集積科学専攻

コラム   

第138回 「最近読んだ本から」
 

天川修平

准教授
電子デバイス工学研究室

 

 

柳瀬尚紀『辞書を読む愉楽』
いきなりジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』の中国語訳だかの引用が出てきて面喰らう.なんじゃこの本は?しかも地の日本語まで一部中国語の簡体字で書かれてる始末.こりゃ組版大変だっただろうな.電子書籍化は難しいんじゃないか?と余計な心配.
なにしろ無類の辞書好きが書いた本だから,言葉遊びに知らない言葉・話題がてんこ盛りだ.
え?将棋の羽生善治(元)七冠王は「ななかんおう」じゃなくて「しちかんおう」って読むんだって?知るか,そんなこと!
ナニ?「たぬきそば」の由来は東京世田谷の砧家のキヌタソバの逆さ読みだと?コロモだけで中身がないからタヌキに化かされた!のがたぬきそばだとかいう説を昔,耳にしたことがあったが….
「fugu」は日本で自殺目的で食される魚だと?なんちゅうデタラメな辞書だ!海外での日本に関する報道って相当いい加減な情報源を使ってたりするけど,辞書作りも一緒か?
イギリスで牝犬が石を627個も食べちゃったという珍事の真相は,当の犬が錬金術犬になろうとしてたからだって?しかもそれが辞書を引いたらわかっただと??一体どうなってるんだー!!
上に挙げたのは,まだわかりやすい話で,特殊すぎてあんまりついて行けない話題も多い.
「ニヤラポキヒ」(3文字目の「ラ」は小さく書くらしい).試しにググってみたら1件だけヒットした.一語で1件だけヒットする単語は珍しい!
それにしても,こういう人畜無害な趣味(いや,もちろんプロの翻訳家なんだけど)に打ち興じて悦に入っているおっさんの姿はなんとも平和で微笑ましく,ちょっとなごむ.
と,書いてるうちに訃報が飛び込んできた.柳瀬尚紀氏は2016年7月30日に亡くなられたそうです.合掌.

Rafie Mavaddat, Evolutionary Pathways in an Unfolding Universe
PDFで無償配布されている本.なんとも魅惑的なタイトルだと思う.著者は,マイクロ波工学で利用されるSパラメータを詳述した(なかなか難解な!)名著『Network Scattering Parameters』をものした Rafie Mavaddat.つまりはサイエンティストだ.その著者が取り組んだのは,宇宙の創生と進化,生命の誕生,人類の発展の歴史を,科学的かつ「宗教的」に理解しようということ.ここで「宗教的」と書いたのは,これらすべてをひっくるめた宇宙の進化には意味と目的がある,という立場から理解しようということだ.
このような遠大なテーマに実際に取り組み,一冊の哲学書にまでまとめたという実行力に,まず恐れ入る.著者はイラン出身で,(たぶん)オーストラリア在住の敬虔なバハーイー教徒だ.サバティカルでオーストラリア滞在中にイランで革命が起こって,帰国できなくなったという過去を持つ.これは数十年前の話だが,今日でも世界には様々な不和や不正義,それらがもたらす不幸が絶えない.地上に平和が訪れる日は来るのだろうか.
そのような日を迎えるためには,転変する宇宙,生命,人類の歴史を知り,そこに見られるある種の共通する構造を認識することが重要であると著者は説く.Part Iではこのような観点から,現在の科学的知識と矛盾ない形で,宇宙の進化には意味と目的があるのだという世界観が提示される.Part IIでは最近の科学的知見をもとに宇宙,生命,人類の歴史が語られる.世の中には,科学で使われる用語を駆使して語られるエセ科学や,そこから発展した「宗教」もあるが,本書にそのような胡散臭さは無く,あくまで真っ当なサイエンティストが著した書物として安心して読める.したがって,本書は宇宙の真理を解き明かしてみせはしないし,現実の難事に対する特効薬も提供しない.宇宙は現在も,そしてこれからも長大な時間をかけてunfoldし続けるのであり,仮にそこに何か目的や意味があったのだとしても,それが人間のような存在に簡単に読み解ける道理はない.
さて,長いこと生きていると,単なる偶然とは思えず,これには何か隠された意味があるのでは?とすら思ってしまうような出来事に出くわすことが,たまにある.たとえば,そもそも私はなぜこの本の存在を知っていて,また面識もない著者が革命のせいで帰国できなくなったなどということを知っているのか…?この本との出会いも,そんな不思議な偶然の産物だ.
研究分野を変えてから苦労しながら読んだ『Network Scattering Parameters』(2007年頃購入)の著者が,かつての友人のお父さんだった(しかも,2000年頃に顔を合わせたことすらあった!)と知った瞬間(2013年).あるいは,犬が石を大量に呑み込んだ理由を辞書を引いて見出した瞬間!こういう瞬間,unfoldし続ける宇宙がその秘密の一端を垣間見せてくれているのだろうか?



(2016/07/27)

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