広島大学 大学院先端物質科学研究科 半導体集積科学専攻

コラム   

第146回 「学ぶことと思うこと

  

藤島 実

 教授

先端集積システム工学研究室

 >>  研究室ホームページ

 

 


本専攻では所属教員に2回連続してコラム執筆の機会が割り当てられており、今回は私の研究室の学生の順番です。しかし、教員として学生さんにお伝えしておきたい思いがいろいろあるので、私が今回も担当します。(ごめんなさい)
さて、最近、

 

創造性は詰め込みの産物

 

と題するコラムがアゴラに掲載されました。タイトルの通り、詰め込み教育の効用について書かれているのですが、その一節を紹介します。

 

“人間が作り上げる独創的な芸術なども、既存の材料の組み合わせだといわれています。モーツアルトが少年時代に父親から(モーツアルト以前や同時期)の音楽を叩き込まれたこと、代表曲「レクイエム」も前の時代の作曲家の曲に似ていることはとても有名な話です。”

“このように考えると、「子どもたちの自由な発想を伸ばす」という目的で「学習内容のインプットを減らした「ゆとり教育」は、「自由な発想」の元となる材料を少なくしているので、逆の結果を招いてしまったのは当然のことだったのです。”

 

一方で、第30回サラリーマン川柳の大賞は

 

ゆとりでしょ? そう言うあなたは バブルでしょ?

 

でした。この川柳はコラムの主題と一見離れますが、若者の気持ちを代弁しているように聞こえます。「ゆとり」という言葉は、もともとの意味を離れて批判的な文脈の中で用いられることが多くなりました。もちろん、考えるべきことは、「ゆとり」がよいのか「詰め込み」が良いのかではありません。ここで、有名な論語の第2章「為政第二」の第15が思い起こされます。

学びて思わざれば則ち罔(くら)し、思いて学ばざれば則ち殆(あや)うし(学而不思則罔、思而不学則殆)

詰め込み教育に対する反省は「学びて思わざれば則ち罔し」であった一方で、ゆとり教育に対する反省は「思いて学ばざれば則ち殆うし」に当たると思います。学ぶことと思う(考える)ことはどちらかに重点を置くかということではなく、両者が重要だと論語では教えられているのです。
一方で、最初に紹介したコラムの内容からは、学びと思いの順序の重要性が読み取れます。創造性は知識の組み合わせだとすると、知識がなければ創造性は生まれません。まず学びなさい、そして十分な知識が身に付いたら思いにふけりなさい、ということでしょう。
時として、目の前の(つらい)勉強の目的がわからなくなることがあります。内容が専門的になればなるほど、すぐには何の役に立つかわからなくなることが多くなります。しかし、あらゆる知識は、将来たまたま役に立つ可能性があります。たとえそれが失敗の経験でもです。もちろん、どの知識の組み合わせが将来役に立つかは誰にもわかりません。しかし、多くの知識を身に着けていれば、組み合わせて生まれる創造性の選択肢は将来格段に増えることになります。それは未来のあなたの生活を、そして社会をきっと豊かなものにしてくれると私は思います。

(2017/6/7)

 

PAGE TOP
広島大学RNBSもみじHiSIM Research Center