広島大学 大学院先端物質科学研究科 半導体集積科学専攻

コラム   

第23回 「5円の価値」
 
亀田 成司 KAMEDA, Seiji
 
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Q. 5円の価値は不変なものだと思いますか?

 ちなみに「相場で時々刻々変動します」という話では無いです。現在では5円で買えるものは殆どありませんが、明治時代ならば現在の数万円に相当する貨幣価値があったと言われています。でも、ここでは、我々の感覚的な尺度としての現在の5円の価値を想像してみて下さい。変わりますか?

A. 感覚的には不変ではありません。
 相場の変動がなくとも、5円の価値は状況によって変わります。例えば、100円の菓子を購入するときに5円の値引きがあると嬉しいと感じる人は半数程度いるかもしれません。一方、100万円の車を購入するときに「5円サービスします」と言われたところで、「ふざけるな」と感じる人はいても、菓子での値引き程に嬉しいと感じる人はまずいません。私の感覚的には菓子の値引き同様に嬉しくなるためには5万円の値引きが必要です。すなわち100円における5円と100万円における5万円、それぞれに対する感覚は一致します。つまり、人は絶対的な金銭感覚ではなく、相対的な金銭感覚を持っていると言えます。この傾向はウェーバーの法則として知られています。そして、この法則から感覚の大きさが刺激強度の対数に比例することが導けます(フェヒナーの法則)。すなわち、ヒトは幅広い刺激を対数に圧縮して知覚していると言えます(図1)。主観的な要素がある金銭感覚を解析することは難しいですが、ヒトの様々な感覚系(視覚、聴覚、体知覚など) において、これらの法則が定量的な実験により確認されています。

図1:ウェーバー&フェヒナーの法則

 実際に、我々の視覚は10-3lx(星空)から105lx(日中)まで9桁程度も変化する視覚環境に対応することができます。聴覚には12桁程度の動作域があるようです。ところが、網膜で光を受容する細胞(桿体視細胞、錐体視細胞)の動作域は生理学的な実験から精々2桁程度であることが分っています。視覚系に限らず他の感覚系の受容器細胞も同様です。そこで存在するのが「順応機構」です。例えば、急に暗い部屋に入ると、その瞬間は何も見えませんが、しばらくすると見えるようになります。これが視覚系における暗順応と呼ばれる機構です。感覚系では順応機構により刺激の水準に応じて受容器細胞の動作域を動かすことで非常に広範囲な刺激に対応しています。数億円を動かす相場師が破産して普通の生活に戻れないという話も順応機構の影響かもしれません。私も大学の会議に出て、研究プロジェクトの予算総額が数億円、研究装置が数千万円という話を聞いていると、数十万円のパソコンなんてたいした金額ではないんだと錯覚してしまいます(駄目です)。すなわち、ヒトは生物学的観点から「対数圧縮」と「順応機構」で変化に富んだ環境の刺激に対応していると言えます。

 皆さんも日頃の生活で「対数圧縮」と「順応機構」の影響を受けた経験はありませんか?学生の皆さんの金銭感覚が順応(崩壊)することは殆ど無いと思いますが、勉強や運動において影響が現れていると私は考えています。例えば、始めは楽しかったけど続けるうちに段々苦しくなったという経験はありませんか?暗記科目の勉強を例に、図1のグラフにおいて横軸を暗記量、縦軸を達成感とします。勉強を始めた頃は知らないことを知る楽しさに少しの暗記量でも達成感を感じますが、勉強を続けるほどに達成感が鈍くなってきます。達成感を維持するには指数関数的に暗記量を増やす必要がありますが、そんな上手い手段はありません。結局のところ地道にコツコツ積み上げるしかありません。達成感が低いとやる気が下がるでしょうから、続けるほどに苦しくなる訳です。また、暗記科目に関して言えば暗記量と能力の高さは一致します。できる人と比べると、感覚的には能力差が無いように感じても、実際には明確に差が付いています。この傾向は暗記量が増えるほど顕著に現れますので、「自分はやればできる子」と根拠の無い自信により勉強をさぼると取り返しが付かない場合も多々あります。一方、周りが頑張っていると自分も自然に頑張れてしまうこともありませんか?これは周囲への順応機構の影響だと言えそうです。逆もまた然りですが。

 私は研究室での研究についても同様だと考えています。まず、研究室という新たな環境に身を置き、自分にとって新しい研究領域に触れる楽しさがあります。一方、研究を始めるには先人の研究を知る必要があり、知れば知るほどに研究背景の奥深さを感じ、それだけで苦しみを感じることもあります。上手くスタート位置に辿り着けたとしても、上手くいくとは限りません。寧ろ失敗が多いのが研究です。やれどもやれども思い通りにならない日々が続きます。そもそも思い通りという明確なイメージがあれば良い方です。霧の中を歩くような気分もよくある話です。しかし、やる気を無くして歩みを止めてしまうと終了です。新しい発見はその先にあります。これが勉強との大きな違いです。新しい発見の喜びは、既存の研究を知る楽しさとは比べようもなく、対数圧縮による行き詰まり感をあっさり壊してくれます。さらに、それを他者に認めてもらったときの喜びは言葉に表しようがありません。今までの苦労が全て吹き飛びます。不幸にも新しい発見に繋がらない場合でも、自分の道を信じる信念と歩みを止めない覚悟は決して無駄ではなく、必ず次の道へと繋がります。また、研究をより良く進めるには研究室に順応することが近道です。研究室での研究は勉強と違って基本的に一人ではできません。一人で悩んでも良いことは何も無いです。指導教官あるいは研究室もしくは研究そのものは高価な楽器みたいなものだと私は考えています。癖が強いので注意は必要ですが、上手く扱えば非常に良い音色を奏でます。少なくとも、びびって触らなければ音は出ません。(教官の立場的には魅力ある楽器であり続ける必要がありますが)。上手く順応できれば、霧の中を闇雲に歩くことも無いはずです。是非、研究に触れる楽しさ、研究を続ける苦しみ、新しい研究を発見する喜びを、研究室の仲間と分かち合って下さい。

 私は3/31で広島大学を離れます。新天地には新たな研究プロジェクトが待っています。環境が変わるという意味では、新しく研究室に配属される学生の皆さんと大きな違いはありません。どうか、自分を取り巻く環境が変わることを恐れないで下さい。進化の過程においてヒトは環境に順応できるようになっています。自分の順応力を信じてあげて下さい。現在、この半導体集積科学専攻では学生の皆さんのために新たな枠組みの構築が進められています。皆さんを取り巻く環境は更に良くなるはずです。この過渡期に本専攻にいないことが非常に残念ですが、新天地から本専攻の更なる発展と学生の皆さんの充実した研究生活を祈っています。

 5円の積み重ねを大切に。また広島に御縁がありますように。

(3月31日広島大学退職、4月1日より大阪大学 臨床医工学融合研究教育センター 特任准教授)

(2011/03/30)


 
 図2:送別会にて(2011.3.9)
 

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